松原靖樹さんのコラムをよく読むのですが、
【千式】精神力が弱いヤツはシネ 0001
を読んで思うことを書いてみます。
精神力が弱いヤツはシネ。乱暴に聞こえるかもしれないが、結局のところ自分を殺して死んだまま生きることになる。
死んでる人間は望みを持たなくていい。精神力が弱いということは望みを手にする原動力がないということだ。
精神を強くするつもりがあるなら考えず、感じず、修行僧のようにただやれ。
言葉の荒さはあれど、僕は下記のような
メッセージを受け取りました。
- 精神力が弱いと自分を生かせない
- 精神力は望みを持つ原動力
- 精神力を高める方法は修行に取り組むこと
昔、20代前半の頃、
何もかもが中途半端な自分が嫌で
色んな自己啓発本を読みあさってました。
行き着いた一つの結論が
たしか精神力だった気がします。
精神力のありかが丹田というところで
ここに力が入らずふらついていると
精神力が強くならないと書いていた
覚えがあります。
そこで行ったのが
確か瞑想。
なんか書いてて恥ずかしいですが。
瞑想している時期がありました。
それとこれとは全く関係ないですが、
思い出したので書きました。
何かしら繋がっているんでしょうが
着地点が見えないです。
話は変わって、
小学生の頃に少年サッカーをやっていた
のですが、そのチームの監督も
同じようなことを言ってました。
結果、小学生ながら
修行僧のように修行に明け暮れる日々
死ぬほど辛く、ひたすら走らされ
理不尽に怒られ繰り返される練習。
でも、
あれが僕の精神力を
少し高めたかもしれません。
本当に辛かった。
ココ最近この『精神力』
というものに意識をしていなかったので
このコラムの続きを読んで
精神力について認識を
改めていきたいと思います。
そういえば、監督がよく
こう言っていたことを思い出しました。
「鉄は熱いうちに打て。
これぐらい小さい頃から
死ぬほどつらい思いをしておいた方が
生きる上で後々楽だ。
この意味は10年後20年後に
分かる。俺は憎まれようと
その時のために今お前たちに
苦しい思いをさせる。」と
ちょうどあれから20年ぐらいですが、
悔しいですが、間違っていなかったと思います。
あんな思いは小学校以来していません。